2021.6.20(日)

めずらしく深夜3:00に目が覚める。体調が良くない。しばらく自分の体を宥めつつトイレで読書をして、ひと段落して部屋に戻ると、すでに夜が開けていた。梅雨の雲がどっしりと空を覆って、薄暗く、空気は湿りひんやりとしている。まだ人間が起き出さない時刻。音がよく聞こえる時刻。居間では、部屋干しの洗濯物に向けられた扇風機が静かに働いている。台所の電気をつけて、突っ立ったまま水を飲みながら一点を見つめて、さっきまで読んでいた本について思う。「現象は動いている状態が美しいから、何かパッケージされたものは現象とは別物であって、一回見ただけではわからなかった時には、同じ現象を何度も見るに限る。一瞬で千を感じられない時には、その一瞬を千回見ないと、とても追いつかない。」うん。頭は冴えてしまったし、することもないので、水が入ったグラスを持ちながら、家の中をまじまじと見て歩く。普段は、わたしの生活や感情とくっついている為に目に入らなかった家が、今は切り離されて目の前に置かれているように感じた。他人のような顔をして、静かにしている。わたし、こういう家に住んでいたんだっけ。























2020.6.13(土)

おとといから東京は梅雨入りをしたらしい。
今の家に越してきてから、雨が好きになった。
雨が降ると、隣にある大きな公園のことを思う。
草木が濡れて、空気が水分を含んでしっとりとしている様子を想像する。
実際に散歩に行くこともあるけど、ただその様子を思う時間の方が好きだ。
わたしにとっては”在る”と感じられることが大事。
友達も然り。

2020.4.19(日)

毎日、感染者を示す数字が積み上がっていく度に暗澹とした気持ちになる。
一方で、コロナが蔓延することで、人が動物に戻っていくことに安心している。
人々の中で「生き延びる」ことが最優先事項になっていくことに希望を感じる。
間に挟まっていた様々な立場、面子、「すべき」という障害物が外れて、
みんなが同じところに転がればよいのにと思う。
みんなが心のうちに溜めていたことを思い思いに騒ぎ立てている状況を愛しく思う。

わたしは、きちんと見て、自分の中に留めておきたいと思う。
草木が芽吹く美しい季節で本当によかった。
みんな、なんでも無い、ただの動物として、生き延びることを考えるときがきたよ。





















2019.11.23(土)
4年ぶりの個展開催中に、家の引っ越し。
7年近く住んでいた場所から、移動することにした。
作品も手元から消えて、住んでいた場所も返した。
体は疲労しているけれど、心は晴れ晴れしている。
何も無いことが嬉しい。
2019.5.6(月)
朝、味噌汁を温めて、口に運ぼうとすると
小さな虫が、溺れ死んで浮かんでいた
わたしは、しばらくそれを眺めて、よく狙いを定めてから
それを食べた
2018.7.12(木)
死んだ人の体は少し甘い特別な匂いがする
そして体にある穴(目、鼻、口、耳など)は空洞だ
体全体が大きな空洞のようだ
中は暗くて、風がひゅうひゅうと吹いている


2018.6.3
ここ最近、志賀理江子さんの文章を立て続けに読んでいる。
志賀さんの文章は強度があり、そしてなぜか親近感がある。
彼女は展覧会をする街に実際に移り住み、住んでいる人たちに、
「宗教や葬儀の概念がない場合、大事な人が死んでしまったら
あなたはどうやって弔うか」と聞いていた。
肉体を食べるという人、燃やすという人、頭蓋骨に花を活けるという人
この人はもう居ないと12回思うだけだという人。

「移動」「文章」「弔い」が最近はずっと頭の隅にいる。

私の場合、文章を書くときは主に母のことを思い出すときだ。
母を思い出すというよりは、あの頃の自分の気持ちを思い出し
整理をしようとすることが、結局文章を書くことになる。
忘れないために、自分で自分を許すために。





















2018.3.16

わたしはこれまで素材であることに甘んじて
世界の上にあぐらをかいてきたように思う
素材を道具として意識し、力量を知り、
工夫を繰り返し、力を発揮出来る形を探ることは
世界と関わり、愛するということと繋がっている
これから取り組むべきわたしの仕事である

「素材の味を生かしたシンプルな料理」に見えるような
遠回りを楽しんで行くのである






















2018.3.8 雨
自分でものを考えない人ほどすぐに人を舐めてかかる
人の表情はとても複雑で、気持ちには奥行きがあることを忘れている
目がどこかに行ってしまったんだろう























2017.12.23(土)

オブジェクトのまま転がってきたわたしは
ツールになるために歩行を始める






















2017.12.7(木)

「いま」が全てなのよ
理由なんかないのよ

「これは何ですか」と聞かれたら
「何でもないです」と答えるしかないことを追いかけていくのよ


2017.10.1
「絵よりも服をやったほうがいいじゃん」という言葉は
「そこに行くならバスより電車のほうが便利だよ」ってことなのかも。
行きたい場所がちゃんと自分でわかっているんなら
何を使って行ってもいいじゃんっていうことなのかもしれない。
2017.9.11
「元気になると信じているから特に心配はしてない」と
皆揃ってそんなことばかり言い合っていた。
不気味な会だった。
自分は死なないとでも思っているんだろうか。

やっぱり人は生きている限り愚かしい。
それはどんなに気をつけていたってやっぱりはみ出してしまう。































2017.9.5
1つの構造物だったものが、材料ごとに分けられている様子が好きだ。






























2017.8.29
隠れる場所が少ない。
堪えるよりも先に吐き出す。
人は種類ごとに集まる。
本当にせせこましいことだ。


2017.7.23(日)
誰の目の前にも同じ世界が広がっていて
何も特別なものはなく、ただただ平地、のっぺらぼう。

どこをすくい取るのか、どういう風に見るかを自分で設定して遊ぶ。
平地にわざわざ山とか海とか谷とか国境とかをつくって遊ぶ。
何にもないところにわざわざ意味を見出して遊ぶ。
自分で、人にせいにしないで、自分で。

死んだら終わってまた元通り更地。






















2017.6.29

ここ数年わたしが積んできた魔術は効き目が切れた。
また新しい魔術を始めなくてはいけない。
次はきっとさらに総力戦になっていくんだろう。











































2017.5.28   夢

夜中に恵比寿まで諒くんの展示を見に出かけた。
入り口は暗くて、諒くんはわたしだと気づかないようだった。
「ここからは友達じゃないと入れないから」と断られ悲しくなって外に出る。
途中で諒くんがわたしだと気づいて「待てよ」というけど無視してタクシーを拾う。

捕まえたタクシーに乗り込むと助手席にシワが既に乗っていて、
わたしはもう1人のシワと一緒に後部座席に乗り込んだ。
2人のシワはどっちも妊娠していて、2人で話をしている。
助手席のシワが「早すぎたかしら」と聞き、
私の隣のシワが「そんなことはないわ。だって自分でスイッチを押したんだもの」
と答え、そして2人は黙ってしまった。
わたしはただ窓の外をぼーっと見ていた。

場面は変わって全面ガラス張りのカフェで5番街マックが800回目の会議をしている。
ポテトフライに刺す飾りは毎回使い回しらしい。

カフェを出て階段をおりているといきなり蚊にちゃんが階段の真ん中で
セリーヌディオンを熱唱し始めた。
それに合わせてシワがカフェに火を点けて爆発する。
白煙と炎の周りにガラスがたくさん飛び散ってとても劇的だった。

2017.5.19(金)
牯嶺街少年殺人事件。
余計な説明的な場面が一切なく、いきなり背中をドンと押されて
少年たちの世界に放り込まれた感じ。終始突き放され続ける印象。
彼らの名前やそれぞれの境遇や、グループ関係を彼らの生活から必死に追いかける。
結局わたしにはよく意味が分からない場面もたくさんあった。
なのに、なぜか時々なんとなく思い出して頭の中で転がしては
また無くさないようにそっと頭の中にしまうということをしてしまっている。
わたしの中に生きてしまっている。
終盤、小四が2人の女の子に立て続けに同じことを言われる場面がとても印象的だった。

ここしばらく、わからなさ、溜めることについてばかり考えている。












































2017.5.14(日)母の日

わたしは母の命日や享年をはっきりと覚えていない。
母がおそらく形見としてくれた真珠のネックレスも無くしてしまった。
でもメガネケースの中に母の髪の毛をしまっている。
母の誕生日は忘れない。