2018.6.3
ここ最近、志賀理江子さんの文章を立て続けに読んでいる。
志賀さんの文章は強度があり、そしてなぜか親近感がある。
彼女は展覧会をする街に実際に移り住み、住んでいる人たちに、
「宗教や葬儀の概念がない場合、大事な人が死んでしまったら
あなたはどうやって弔うか」と聞いていた。
肉体を食べるという人、燃やすという人、頭蓋骨に花を活けるという人
この人はもう居ないと12回思うだけだという人。

「移動」「文章」「弔い」が最近はずっと頭の隅にいる。

私の場合、文章を書くときは主に母のことを思い出すときだ。
母を思い出すというよりは、あの頃の自分の気持ちを思い出し
整理をしようとすることが、結局文章を書くことになる。
忘れないために、自分で自分を許すために。